著者:藤原正彦、小川洋子
出版社:筑摩書房
刊行年月日:2005年4月10日
定価:780円
私自身は、中学・高校と合わせて6年間数学とお付き合いをしてきたが、美しいという印象を抱いたことはなかった。私の数学の印象は、分厚い参考書の公式や解法を暗記して作業的に答えを出してしまう、とても無機質なものだった。あけすけに言えば、受験で使わなければならないため、そんなことを感じている暇はなかったのだ。皆さんの中にも、私のように必死で食らいつくだけで数学を終えてしまった人も多いのではないだろうか。「美しい」とは普通、人や絵や自然などに使われる言葉。なぜ数学に対して「美しい」と言えるのだろうか。
この本は、「博士の愛した数式」の作者の小川洋子と、数学者でお茶の水女子大学理学部教授の藤原正彦との対談集であり、二部構成で書かれている。第一部では、数学と美しさの関係について、数学者の素性や数学史などの側面から解説している。エンジニアリングや医療のようにすぐに人類の役に立つ学問では、「いかに役立つか」でその価値が決まる。人類の役に立たない、もしくは役に立つまでに非常に時間がかかるタイプの学問である数学では「いかに美しいか」が価値の基準になる。複雑な数学的現象を数式一本で表してしまう「美しさ」が重要なのだ。それゆえ計算力や論証力だけではなく、美的感受性を磨くことが数学には重要になる。日本には、俳句のような美的感受性が磨かれる文化が伝統的にあるため、数学が発展したと述べられている。たった17文字で大自然を表現し尽くし、自分の周囲、地球、ひいては宇宙全体まで及ぶ想像力の豊かさが俳句にはある。
では実際どのように美しいのか。第二部では、具体的な事例として、いくつかの数学の問題が紹介されている。例えば素数について。素数は1と自分自身以外に約数を持たない、すなわち1と自分自身以外では割り切ることのできない数のことで、11や29などが身近な素数だ。素数は無限にあることが知られているが、どのように出てくるかはわかっていない。藤原曰く「気まぐれに出現する」数である。だが、1からある数nまでに存在するおおよその素数の数を求める式は以下のようにわかっていて、それはとても美しいと評されている。
「何が美しいの?」と思う人も少なくないだろう。ただこの式は美しいとしか言いようがない。混沌とした果てのない素数の世界の中の現象を、分母が
という非常に秩序だった形の式で表すことができる。藤原は「神様は不思議で、素数をあれほどアトランダムに不規則に散らしておきながら、ちゃんと秩序を隠している」と述べている。神の所業とも思える、混沌の中の秩序という対比。それを端的に表現する言葉はきっと「美しい」以外にないのだろう。
対談をもとにした本の多くは、話し手が一方的に話して、それを受け手が適宜補足し流れを整えていく形式で綴られている。しかし本書では、話し手と受け手という縛りが存在しない。数学者でもありエッセイストでもある藤原と、小説家であり数学に関する小説を執筆したことのある小川。数学と文章の双方に精通している2人だからこそ、対話的に数学の魅力を深めつつも、読み物としての文脈も保つことができるのだろう。2人の語り手によって紡がれる数学の世界、ぜひ覗いて欲しい。
佐藤 丈生 (CoSTEP14期本科ライティング)