実践+発信

差の湯の会におけるノラプロジェクト共有ドアとすきまから見るコミュニケーション

2018.9.14

2018年7月29日(日)、「札幌可視化プロジェクト」実習班(以降、可視化班)の安藤瑞帆(北大理学院修士1年)と歌川敦夫(北大総合化学院修士1年)は「差の湯の会」に語り手として参加した。

(360度カメラで撮影した差室内部)

この会は可視化班として行った全二回の内の二回目である。「差の湯の会」は差室と呼ばれる茶室の設えを持った仮設の小屋にて行われる対話形式のコミュニケーションである。今回の会の構成はお客様3名、亭主1名、そして我々語り手2名の計6名。小さな差室が機能するギリギリの人数であった。「差の湯の会」の特徴は何といってもその空間にある。狭くて薄暗いテーブルのない座敷と、借景に切り取られた外界。そんな中で集った人々は自然と話を紡いでゆくのである。本会は我々可視化班が進行している「ノラプロジェクト」初のアウトリーチであった。

「ノラプロジェクト」とは札幌で生活する中で普段身の回りに存在しているが、あまり意識しないものすなわち、「ノラ」なものを写真に収めてそこから何かを見出すプロジェクトの通称である。班員はそれぞれ「ノラ」なテーマを持ち、差の湯の会ではそれについて語った。今回のテーマは安藤が「ドア」、歌川が「すきま」である。果たしてどんな差の湯だったのか準備段階から振り返る。

(ノラプロジェクトではテーマに沿った風景を撮影し、その光景からボトムアップに「ノラ」というコンセプトを考えていく)

写真を通して伝えたいことは?

差の湯の会に向けての準備として、ノラプロジェクトで撮影した写真を人に見せる形にまとめ、当日話す内容をざっくり組み立てた。写真を形にする際に一番気を付けたのは、参加者の方に写真を通して一番伝えたいメッセージは何かということと、それが伝わる形かどうかということだった。準備の段階で一番伝えたいことが曖昧だったため、インタビュー形式でお互いに話を聞きあい、二人の話を整理し、メッセージを導き出した。

安藤はドアの中でもそこに貼られた「掲示物」に注目した。これについて安藤が伝えたいメッセージは、ドアの掲示物に対する外から見た印象が人によって違い、またそれが掲示者の意図するところと違うことであった。これが一番伝わるのは、掲示者の意図を開放的・閉鎖的を端とする軸に沿って並べたものと、外から見たときに入りやすいか・入りにくいかを端とする軸に沿って並べたものを比較することだと考え、作成した。リハーサルをしてみると、机の上で見たときと実際に差室で見たときで印象・見え方がかなり変わった。作成物が長すぎて端から端まで見渡すのが困難であること、縁がないためドア一つ一つの特徴が捉えにくいことなどがわかり、修正を加えた。

一方、歌川は「すきま」という言葉を使って自分の中にある言葉の定義について考えてもらい、そこにある揺らぎや、人による定義の違いを気づいてもらうことだった。そのことに直観的に気づいてもらうためにはどうしたらいいか。考え付いたのは私たちが普段の実習でああでもないこうでもないと言いながら行っていた写真の分類作業を実際にやってもらうことだった。それはすなわち、「すきま」か否かを分けてもらう作業である。見せる写真は差室内で扱い易いよう、名刺サイズにして歌川にとっての「すきま」とそうでないものを数種類ピックアップして印刷した。裏には歌川自身の見方を載せ、答え合わせしやすいように工夫した。

(可視化実習では自分たちのプロジェクト成果をどのように共有していくかを話し合った)

実際のドアの向こうは….

当日は亭主による茶と茶請けの提供、各々の簡単な自己紹介によるアイスブレイクから始まった。その後、安藤が軽くノラプロジェクトについて説明し、話題提供のパートに入った。

1つ目の話題は安藤による「ドア」。安藤はまず、なぜドアというテーマを選んだのかを説明した。そして、ドアの掲示物に注目するに至った経緯を話し、実際に自分で撮った写真を見せた。そこで安藤はそれぞれのドアについて、「自分が外から見た印象」と、「掲示者の意図(を自分が推測したもの)」という二つの視点間の違いを語った。その中で、「実際にドアの向こうに入ってみて、外からの印象と掲示者の意図との違いを確かめてみたらどうか」という意見がお客様から出た。これはともすれば、今回のドアの写真を初めて見た人が自然に思うことかもしれないが、何度も写真を眺め、自分の視点で考え続けてきた身としては新しい意見のように感じられた。

(ドアの写真を横一列に並べた資料を使って話す安藤)

進行上の反省点としては、話の筋とゴールを事前に決めていたが、当日はそれに少し固執してしまう部分があり、振り返ると、もう少しお客様との会話を広げてもよかったのではと思う場面もあった。

多様な「すきま」観

歌川が話題提供をした「すきま」のパートでは、まず自分のテーマについて話しながら早速カードの配布を行い、お客様にすきまか否かを分けて頂いた。その作業の中で、お客様自身は各々のすきま観を言語化していった。自分との接点があれば「すきま」として捉えるかもしれない、簡単に動いてしまうとすきまじゃない、「すきま風」を感じるものが「すきま」、など三者三様のすきま観が出たのは大変興味深かった。

その後、歌川が考えた「すきま」について、カード裏面の情報を用いながら説明し、さらに会話を広げていった。ワークを通して、「すきま」という言葉に対する自分なりの定義を考えてもらうこと、そしてそれが人によって様々であることを実感してもらえていたようなので、こちらが意図していたものは達成でき、良かったと思う。さらに、今回はお客様にかなり活発な意見交換をして頂けたことで特にこちらから促すことをしなくとも各々が自らの「すきま」の定義を深められていた印象である。それにより、参加者間の定義の違いが浮き彫りになったことだろう。一方で、お客様から「全員の定義はやはり「人間の視点」という点で共通している」という指摘もあった。これは当たり前かもしれないが、「言葉の定義の主体は人間が使っている以上人間にある」という人の認識の本質的な部分に関わることであるように筆者は感じた。お客様がそのような深い部分に実感を伴って気づくことができる場を作れたことは想像以上の成果であるといえるかもしれない。

(カードを使って「すきま」と「すきま」じゃない光景を分類していく)

このパートにおける進行上の反省点として、本番中は自分の考えていた話の流れにばかり意識がいってしまったことが挙げられる。差室ならではのコミュニケーションである、「他人の言葉を拾い、頭で考えて、話を展開する」という部分までは頭が回らず、お客様方や、ファシリテーターの奥本先生に補って頂くことが多かった。これを語り手側の働きで実現するためには本番までに段取りに対する不安を出来る限り除き、精神的な余裕を持つことは最低限欠かしてはならないだろう。

「差の湯」というコミュニケーション

差の湯の会は、少し暗くて狭い、普段とは違う非日常的隔離空間に少人数が集まり人との差異を楽しむ時間である。ここでは、講義ともサイエンスカフェとも違う差の湯の会ならではのコミュニケーションができる。例えば、今回、用意した内容に固執してしまうところがあったが、差の湯の会は、用意した結論や解釈をこちらから発信する必要は必ずしもなく、むしろ話しながら一緒に考えていくのが許される場であることを体感した。お客様が2~3人、話者が2~3人、ファシリテーター1人の少人数なので、全員での対話がしやすく、対話の中で話が一つまとまったりまとまらなかったりする。話の結論があいまいなままでも許されることも差の湯の会の特性といえるだろう。

今回はノラの会として「ドア」と「すきま」の話をさせていただいたが、お客様と話すことで気づかされることがいくつもあり、貴重な体験だった。話すテーマが同じでも、お客様や会の設えが変わると全く違う話の展開、気づきが生まれるであろう。


(参加者も巻き込んで多様な解釈について話し合っていく)

今後も様々な形でのアウトプットを行い、それを活かしてノラプロジェクトを進めていければと思う。