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モジュール5-1 「すれ違う支援者満足と当事者満足 多様性の時代に求められる回復の視点」(11/22) 福場 将太先生講義レポート

2025.12.19

塩津 弥佳(2025年度 選科A 受講生)

モジュール5-1は、「すれ違う支援者満足と当事者満足 多様性の時代に求められる回復の視点」というタイトルで、福場将太先生より講義をいただきました。 

先生は、精神科医として支援する側でもありますが、視覚障害があるため日常生活では支援をうける側でもあります。

1章 障害との関係の変化について

講義では、視覚を失う過程でどのように障害を受けとめ、向き合い方が変化したかについて、お話がありました。先生は、1980年広島生まれ。小学生のころから映画館での歩きにくさやスクリーンの見え方が同級生と違うと感じていたものの、大学4年までは明るいところでの活動は問題はなかったそうです。この頃の病気の存在は、「意識しない他人」のようなものだったと語られていました。

大学5年の眼科の臨床実習で網膜色素変性症の所見がみつかり、その後の1年で視力が急速に低下したそうです。1年の浪人を経て、医師として一歩を踏み出しましたが、この時期の病気は「無視できない邪魔物」から、大事なものを奪っていく「恐怖の略奪者」にかわったと話されていました。日常生活のなかで病気の進行を感じることが多くなる中、中学の時から触れていたギターが心の支えになっていたとのことでした。

30代前半には失明状態になり、患者さんの表情が見えない、記録が読めないことから仕事に限界を感じるようになった、とお話しされました。そんな時、視覚障害を持つ医療従事者の会(ゆいまーる)の存在を知り、同じ境遇の仲間がいることに元気づけられたこと、スクリーンリーダーや音声入力ソフトなどの仕事におけるさまざまな工夫を知り、仕事がつづけられると感じるようになったことが語られました。この頃から病気は「勇気と知恵で闘う宿敵」へと変わっていったそうです。

30代後半で全盲になった頃、眼科医の柔道部の先輩から講演依頼を受けたことをきっかけに、自分にしかできない仕事があることに気が付いたと話されていました。このように思えるまで15年、今、網膜色素変性症は「相棒」となっているそうです。私は先生のお話で、未来の扉を開く鍵は、それまでに経験した寄り道や回り道の上にも落ちているという話された言葉が印象に残りました。

2章 三つの回復について

精神科医の立場から、三つの回復について説明がありました。

一つ目は、臨床的回復(Clinical Recovery)で、病気の症状が良くなることをいいます。医療でイメージされやすい「治る」とは、この部分で、これは医学的な治療が中心になります。
二つ目は、社会的回復(Social Recovery)で、社会生活における能力・役割が高まる状態となること、生活の回復をさします。病気の症状が完全に治らなくても、生活の機能は改善することがあるという考え方です。
三つ目は心理的回復(Psychological Recovery)で、自分の人生の希望や満足や幸せを再び感じることをさします。患者さんには「気持ちの回復」と説明しているそうです。

三つに分けて考えることが大事なのは、臨床的回復は困難でも、社会的回復は十分に可能であり、適切な訓練・工夫・サポートによって生活は豊かになれば、心理的回復が生まれるからだと説明されました。つまり、医学的に病気や障害は取り除けなくても、人は「希望」「満足感」「生きがい」を感じることができるのです。

3章 心理的回復を妨げる三つの感情

講義では、心理的回復を妨げる3つの感情についても説明がありました。

一つ目は、 負け組の意識(劣等感・喪失感)です。「自分だけ劣っている」「周りの人が普通にできることが自分にはできない」という感情です。この感情の克服の鍵は、“何かを失うことは、何かを得ること”に気がつけるかどうかだと述べられていました。
例として、視覚障害者は、災害で停電となっても建物の広さや構造を把握できるようになったり、相手の顔が見えなくても、声色や気配から気持ちを読み取る力が強くなったりすることが挙げられていました。障害や制限によって確かにできなくなることはあるのですが、同時に「得られる力」「磨かれる感性」もあり、どのような障害にも存在するそうです。劣っている面だけでなく、優れている面に光を当てることで、負け組という意識も和らぐのではないかとお話しされました。

二つ目は、 仲間はずれの意識(孤独感・疎外感)です。同じ経験を分かち合える相手がいないことで孤立感が強まるため、その克服には仲間(ピア)の存在が重要だと話されました。先生も、ゆいまーるに出会い、視覚障害者としての大変さの部分も医療人としての前向きに生きる姿勢も共有できたことが大きかったと言われました。

三つ目は、 お荷物の意識(迷惑をかけている・役に立っていない感)です。障害当事者は、「自分は誰かの負担にしかなっている」「足手まといだ」といった感情に苦しんでいる現状が語られ、何かしらの役に立つ経験が回復の鍵になると説明されました。支援者は当事者に可能な限り任せて、当事者が役に立てる場面を大切にすることが大事だと伝えていました。

4章 「よかれと思って」の事例から問題点を考える

講義では、「よかれと思って」行われた支援がすれ違いを生む事例が4つ紹介されました。

Aさんの事例では、当事者満足(座らない方が良い)と支援者満足(座ってもらう方が良い)が完全にすれ違っている例です。文化的背景として、親切が断りにくい背景があります。さらに、日本文化特有の「遠慮」や「言葉の裏を読む文化」もこのズレを助長しています。

Bさんの事例では、障害がある人が特別に頑張っているという前提が支援者側にあり、そうした過剰評価が B さんを複雑な気持ちにさせてしまう例です。

Cさんの事例では、支援者が「できないに違いない」と決めつけることは、当事者にとって大きなストレスとなっている例です。できることを奪われる不快感や悪気はなくても人のカバンを勝手に開けるというプライバシーへの侵害などがおきています。

Dさんの事例では、典型的なアウティング(本人の同意なく秘密を明かす行為)の例です。これは、悪意がなくても深刻な被害につながります。

いずれも、支援者の「善意」が必ずしも当事者のニーズと一致しない時にすれ違いが起こります。
先生は、当事者側の心得として、何かしてもらったら、まずは笑顔で感謝を伝えることが必要だと言われ、その際、「ありがとうございます。お気持ちだけいただきます」など、衝突を避けながら意思表示することが大切だと示されました。
また、障がいの実情や伴う心情は(伝えないと)察してはもらえません。だからこそ自分の事情を負担のない範囲で言語化し、伝える技術も大事だと言われました。

次に、支援者側の心得について、5つ示されました。

一つ目は、本人の不安と自分の不安、本人の満足と自分の満足を混同しないことです。そのためには、当事者とのコミュニケーションが大事であると説明されました。
二つ目は、本人の願いを特別な情熱だと思わないことです。
三つ目は、本人ができない部分・わからない部分だけをサポートすることです。できないに違いないと決めつけて対応しないということです。
四つ目は、アウティングをしないことです本人の同意なく障害や個人情報を他者に伝える行為は、取り返しのつかない結果を招くことがあるため、支援者には強い配慮が求められると感じました。
五つ目は、障害を打ち明けられたら、第一声に、おしえてくれてありがとう、と感謝を伝えることです。

5章  みんなが暮らしやすい社会とは

最後に、「みんなが暮らしやすい社会とは、どんな社会か」という問いが投げかけられました。

例えば、視覚障害者にとって駅の音声誘導はとても便利です。一方、これが苦手な人もいます。対人緊張の強い人はATMが便利ですが、視覚障害者にとってはタッチパネルは不便です。難聴者にとって聞きやすい音量は、感覚過敏の人にとってはつらい。エレベーターが便利な人もいれば、閉所恐怖症の人もいます。
つまり、誰かにとってのバリアフリーは誰かにとってのバリアにもなることもあるのです。

日常生活の中で、「あれ?」と思った時、相手の事情を察してあげる優しい想像力をもつこと、技術の進歩によって、困る人や不便になる人もいることを意識することが大事だと思いました。

(受講生の質問に真摯に回答する福場先生)

まとめ

支援は、一方的ではなく、「お互い様」、「おかげ様」の関係の中で成り立つものだと感じ、そういった優しさを大事にしていこうと思いました。
そして、目に見えない事情に思いを向ける「優しい想像力」の積み重ねがあれば、誰もが安心して暮らせる社会に近づいていける、と思いました。

(福場先生、貴重なお話をありがとうございました!)