札幌芸術の森美術館で7月13日から開催される「テオ・ヤンセン展」と連動し、北大では参加者が限られた環境で生きる生命というコンセプトを可視化するワークショップ、「繁殖するビースト Strand of Lives」を開催してきました。
風だけで動く砂浜の生命体、「ストランドビースト」を生み出す世界的なアーティスト、テオ・ヤンセンの作品からインスピレーションを受け、有志で集まった北大生、CoSTEP生を中心に自分の専門やバックグラウンドを生かしながら新たな生命像を作っていきます。
初日には、用意されたカードを使って「これは生命か生命ではないか」について話し合いました。「ミトコンドリア、祖父が書いた日記、ミッキーマウス、有精卵、時間、Siri…」など、生命だと思われるものはその理由について話し合いました。立場によって、価値観によって、参加者が生命だと思う解釈は多様で、生命と非生命の間に自分達は何を感じているのかを改めて振り返る場となりました。
その後、1か月、各チームに分かれて、生命とは何か、そして生命が生きる上での環境とは何かということを考え、それを可視化していく作業に移りました。
先日の最終発表では、コンセプトを可視化した様々な生命観が披露されました。
これらのワークショップの結果は、7月16日に開催される第 107 回 サイエンス・カフェ札幌 特別編「北海道大学が紐解くテオ・ヤンセンの世界」の会場前(北海道大学 工学部フロンティア応用科学研究棟 2F ホワイエ)で16時から展示されました。
展示では、自分達の生命観と環境観、そしてそれを可視化した作品が設置されました。
大腸菌のコミュニケーションをもし遺伝子組み換え技術で制御できるとしたら…
コミュニケーションさえも誰かにコントロールされる生物は果たして生き物として私たちは見なせるのでしょうか。
北海道大学に特異的に生息する生き物…例えばジンギスカン
春、夏、秋、冬と季節によってその生態は変化し、この土地に根付いています。文化と生物の違いとはなんでしょうか。
微かに動き、そこから生じるずれを感じた際に、私たちは生命の気配に気が付くのかもしれません。
水の波紋は刻一刻と変化します。そのわずかな変化から、生命観は漏れだします。
どの状態が「生きていて」、どの状態が「死んでいる」のでしょうか。乾くと仮死状態になる粘菌は一見すると生物には見えません。しかし水を与えると、たちまちその胞子を伸ばし、生き生きと生態場所を拡大していくのです。
私たちが誰かと話すとき、私たちはもしかしたら誰かの考えを取り入れた新しい生命になっているのかもしれません。
誰かと話すことによって、その人の見方が自分の中に入りこみながら、私たちは生きていくのです。
片栗粉は大きな音で振動を与えると、ダイラタンシーという個体とも液体とも言えない状態で有機的に動きます。
料理の素材だと思っていたものが、生き物のように動き出すと、すこしドキリとしませんか?
我々が何かを願い、祈る、その思いの延長線上に人工的な生命はあるのかもしれません。
人々が願いを込めて醤油差しから赤い液体を垂らすと、真っ赤な卵が誕生します。思い一つ一つが命に変換されます。