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「トランスサイエンス科学の境界線」(10/19)見上公一先生の講義レポート

2019.11.20

「トランスサイエンスと科学の境界線」(10/19)見上 公一 先生の講義レポート

堀内 浩水(2019年度 本科/社会人)

今回は、見上公一先生に「トランスサイエンスと科学の境界線」というタイトルで、科学コミュニケーションの実践の背景に存在する「科学と社会」のかかわり方をマクロにとらえる理論や考え方について講義をしてくださいました。

「トランスサイエンス」の意味を見直す

「トランスサイエンス」という言葉は、1972年にエルビン・ワインバーグ氏がMinerva誌発表した論文で使われた「科学に問うことはできるが、科学では答えることができない問題」を指す概念です。日本におけるトランスサイエンスの教科書的な位置を占める書籍として、小林傳司氏の「科学と技術つなぐ」(2007)を紹介していただきました。小林氏の意見としては「科学と政治の交わる領域がトランスサイエンスの領域」でありトランスサイエンスの領域にある問題を取り扱うために「専門家は科学で答えられる領域を明示し、公共的な討議に参加する」ことが重要だと述べられています。

本講義では、ワインバーグ氏の原著に立ち戻って解説をしてくださいました。1970年代にアメリカで原子炉開発を研究していた彼は、自身の状況とソ連での市民との対話を踏まえずに進められた原子炉開発とを比較していました。同じトランスサイエンスの問題であっても、アメリカの「市民(国や国民)による議論を必要とする科学のあり方」と、ソ連の「専門家のみで進められる科学」の間で、科学と社会のかかわり方が異なっており、その理由として社会システムの違いがあるのだそうです。

基となる社会システムが違えば、政治と科学のかかわり方も変わってしまいます。日本における、トランスサイエンス問題を考える際には、日本の社会システムを踏まえて初めて理解することができるはずではないかということでした。

科学の境界線を探す

トランスサイエンスの領域を扱う際に、科学者の行うべき行為として「科学の領域を明示する」ということが言われています。では、科学と科学ではない領域とはどう分けられるのでしょうか。トランスサイエンスと似た概念のPost-Normal Scienceと比較しながら説明してくださいました。

Post-Normal ScienceはNormal Science(科学者コミュニティの中のルールや価値観を指す)という概念をもとにした言葉で、既存の科学では解決できない不確実性の高い問題を取り扱うために、科学を変化させる目的の概念であるのに対し、トランスサイエンスは科学自体の枠組みの外に存在し、旧来の科学のあり方を維持することが目的とされています。つまり、トランスサイエンスについて考えることは、科学の営みを維持するために、科学で取り扱えない問題を明らかにすることでもあり、言い換えると、科学とそのほかの領域を切り分ける作業(「境界線策定作業:Boundary Work」)になりうるということでした。

科学の境界を明らかにする作業によって、科学者の果たす役割が明確になり、議論が進められることが重要なのだそうです。

科学と政治の境界線をどう引くのか:ゲノム編集を例に考える

昨年の中国人研究者によるヒトを対象としたゲノム編集に端を発する、様々な議論についてご紹介していただいたあとに、ゲノム編集を取り巻く科学の諸問題を考察していただいた。

日本におけるヒト受精卵へのゲノム編集技術については、基礎研究では認可されている一方で臨床研究は認可されておらず、市民を巻き込んだ議論もなされていない、という現実があるそうです。科学技術が成熟する前から議論がなされていないと、完成した際に問題になる事が懸念されるとおっしゃっていました。

今回の講義では、実践を支える理論の背景にある理論や概念を原著に戻りながら丁寧に説明していただきました。普段何気なく使っている言葉も、原著の書かれた時代背景や著者の置かれた状況を踏まえると、より深い意味が見えるような気がしました。そうした、概念や考え方をひも解く作業から、私たちの考えるべきことが示唆されるように思いました。