実践+発信

「吃音:伝えられないもどかしさ」(11/28)藤井 哲之進 先生近藤 生先生講義レポート

2021.3.18

折登 いずみ(2020年度 本科/学生)

モジュール5では「多様な立場の理解」をテーマに、科学技術コミュニケーションに関わる主要なステークホルダーの立場について学びます。第1回目の今回は、北海道言友会の藤井 哲之進(ふじい・てつのしん)さんとサイエンスライターの近藤 雄生(こんどう・ゆうき)さんのお二人を講師にお迎えし、吃音の当事者の置かれている立場とそれを取り巻く問題について学びました。

当事者としてライターとして吃音と向き合う(近藤さん)

吃音は、鍵がかかったように喉が硬直して言葉を発せなくなる問題のことで、その原因や治療法はまだはっきりしていません。吃音には語頭が何度も鳴る「連発」、語頭がなかなか発音できない「難発」、語頭が伸びてしまう「伸発」の3つのタイプがあり、一般的には連発から伸発、難発へ進行すると言われています。近藤さんによれば、難発は周囲からみてもわからないことが多く、「一見した症状の重さと、本人の悩みの大きさは比例しないことがある」といいます。

吃音の問題の難しさは、症状の曖昧さと他者の介在にあります。症状が一見わかりにくいだけでなく、その時々で症状の程度が異なることもあって曖昧なため、周囲の理解を得るのは容易ではありません。また、吃音は他者とのコミュニケーションの障壁となるため、人間関係の構築や就職活動において困難を抱えることも多いそうです。

自身も吃音の症状に悩み、日常生活でストレスを感じることが多かったという近藤さん。著書「吃音:伝えられないもどかしさ」は、自身の症状が改善し、吃音と少し距離を置いて取材できるようになってから執筆したものです。吃音を持つ人とその関係者への聞き取りをもとに、当事者の声と彼らが置かれている状況が素朴にありありと描き出されています。

近藤さんは、吃音を知らない人が当事者の苦悩を理解するだけでなく、当事者も吃音を知らない人のことを理解する必要があると考えています。すなわち、当事者以外の人に吃音について理解してもらうのは難しいということを、当事者自身も理解すべきだということです。「お互いに寛容でありたい」。講義を締めくくった言葉が印象に残っています。

吃音の科学技術コミュニケーションを実践する(藤井さん)

CoSTEPの第3期修了生でもある藤井さんは、北海道言友会に関わっています。言友会は全国の吃音をもつ人たちの自助グループですが、北海道言友会には当事者だけでなく保護者や支援者、藤井さんのような研究者も参加しているのが特徴だそうです。

藤井さんが吃音に関わるようになったきっかけは、大学時代の先輩からの共同研究への誘いでした。未解明のことが多い吃音の研究に面白さを感じたといいます。次第に吃音当事者が社会生活で大きな不利益を被っている状況を知って、コミュニケーションが不得手だという藤井さんは話せないことからくる生きづらさに共感を覚え、現在にいたるまで吃音の問題と向き合い続けています。

2010年からは、吃音を一般の人にも知ってもらおうと、吃音の啓発活動を行っています。心がけているのは「科学的・客観的な知識に加え、複数の当事者の主観的な経験を合わせて伝えること」。当事者一人ひとり吃音に対する見方は違っていて、一つの考え方が全てではないことを知ってもらうために、なるべく複数の当事者に話してもらうようにしているそうです。

近年、吃音の研究は急速に増加し、メディアでも数多く取り上げられるようになりました。しかし、吃音を診ることができる専門家はいまだに少ないのが現状です。相談機関も少なく、進学・就労の場面においての配慮も十分とは言えません。藤井さんによると、当事者自身も吃音のことをよく知らないことが多いそうです。こうした現状を変えるために、吃音の科学技術コミュニケーションには当事者と社会・一般の両方に向けた視点が必要となっています。

吃音にまつわる線引きの問題(質疑応答より)

受講生からは吃音の定義に関して「吃音の基準はあるのか?」「吃音は障害か?個性か?」といった質問が出されました。近藤さんの答えは、吃音かどうかの定義は本人が社会生活のうえで困っているかどうかだ、というもの。吃音のある人は必要があれば障害者手帳をもらうことができ、障害者として配慮が受けられます。しかし、客観的な症状の重さと本人の負担の大きさが一致しないために周りの理解が得にくく、それが障害者を名乗る際の心理的なハードルになることもあるそうです。

吃音は障害か個性かについては、藤井さんから「接する人は障害か個性かで見てはいけないと思う」「(吃音を定義する)医学的基準は必要かもしれないが、日常のコミュニケーションのなかでは(相手が吃音かどうかを)変にカテゴライズして見ることは避けるべきではないか」といったコメントがありました。

今回の講義を通して、吃音にはその定義から症状の発現程度、治療法にいたるまでさまざまな部分に曖昧さがあることがわかりました。はっきりしない物事を前にすると、私たちは不安定さに耐えられず、わかりやすい基準に頼って分類してしまいがちです。しかし、藤井さんの言葉にもあったように、人と接するときに必要なのは吃音か否か、障害か否かといった基準や判断ではなく、相手に合わせたほんの少しの配慮なのです。コミュニケーションにおいて当たり前だけれどもとても大切なことに改めて気付かされました。