SIAFのホームページで、各アーティストの出展予定だった作品内容を閲覧していた時、吉田真也さんの作品説明で「秋田県の花岡町」という字を目にして、ドキッとした。私の祖父母が住んでいる町だったからだ。私は高校生まで、花岡町から3キロと離れていないところで育った。
吉田さんが展示予定だった映像作品の題材は、太平洋戦争中に起きた「花岡事件」だ。当時秋田県の花岡町には中国人が強制連行され、鉱山労働に従事させられていた。労働環境の劣悪さ、虐待行為に対して彼らは蜂起するが、結果として鎮圧され多くの中国人が亡くなったという痛ましい事件だ。
私は「花岡鉱山」「花岡事件」という単語は知っていたが、耳にしたことがある程度で、恥ずかしながら、その内実については一切知らなかった。単純にその内実を知りたいという意味でも、ぜひ本作品をSIAFで見てみたかった。
吉田さんが撮影するのは、当然のことながら、今現在の花岡町である。強制労働させられていた中国人が寝泊まりしていた中山寮があった場所は「今」どうなっているのか。亡くなった中国人の死体が埋められた場所は「今」どうなっているのか。そして、花岡事件について人々は「今」何を語るのか。それらを映し出し、今現在の花岡町に、花岡事件を投影する。
花岡事件でつかまった中国人が拷問を受けた場所には、町民がスポーツをする花岡体育館が現在建っている。(SIAF2020ホームページ、吉田真也さんのアーティストインタビュー動画より。2021/03/01閲覧。吉田 真也 | 札幌国際芸術祭2020 (siaf.jp))
一般には、過去の惨劇の記憶を風化させてはならない、言い伝えていかなくてはならないと言われる。私はその重要性を認識しながらも、そこにどんな意味があるのか、よくわからずにいた。しかし、吉田さんの作品をみて、少しその意味がわかった気がした。吉田さんは、花岡事件の史実をただ伝えるだけではない。花岡事件を介することで、花岡町をみる新しい視点を与えてくれている。もう少し一般化すると、歴史的事件を通して、今自分が住んでいる町や、今自分が歩んでいる人生を、見つめる視点を与えてくれている。私はそのように感じた。こんな歴史の伝え方、もしくは感じ(させ)方もあるのだと、自分の中で大きな発見だった。