実践+発信

[芸術祭選択実習08] 大塚美侑 | スノーシューGPSロガー描くモエレ雪上絵

2021.3.15

惹かれたのは、私自身が雪氷学を学んでいて馴染みがあったからかもしれません。
普段フィールドで使うスノーシューにデータロガー、
これがSIAFと掛け合わされたとき何が起こるのだろう。純粋に興味が湧きました。

残念ながらW Sには参加できなかったので、サイト上にアップロードされた動画を見ました。
コロナのおかげでWebコンテンツが充実しているのは、日々忙しくて気になってはいるけど、
という人たちに
とってとてもありがたいことだと思います。

モエレの雪上絵と聞いて最初に思い浮かべたのは、日本に古くから伝わる「雪形」でした。
雪形というのは山腹に積雪によって自然に織り成された模様を人が何かに見立てて名付けたものです。
今回のモエレの雪上絵は、同じ雪の模様である雪形とは対照的に、
人が人工物を装着し、人工物が雪上に意図的な模様を織りなします。

雪形と今回のプロジェクト、両者に私は人間の身勝手さのようなものを感じました。
雪形は人間が勝手に何かに見立て名前をつけます。
雪上絵もスマホを使わずに日常のテクノロジーから離れたように見えて、
実は人間がテクノロジーを使って意図的に模様を描きました。
だから悪いというわけではなく、自然が生み出した物を、
当然のように私たちの知るものに見立ててしまうように、
今回のプロジェクトから私たちは当然のように
一歩歩くことすら人類の作り出したテクノロジーからもう離れることはできないのだと
再認識させられました。

雪の上に描く模様は、人間が無意識に地球につけた傷を想起させます。
いくらテクノロジーから離れようとしても、もう離れることは難しい。
もうすでに私たちは人類の身勝手さの上でしか、生きることが難しいのだと
諦めに近いものも感じました。

そんなことを考えながら動画を見終わり、一息ついたところで、最後に
サイエンスコミュニケーションとアートのことを少し述べて終わりにしたいと思います。

今回のモエレの雪上絵のプロジェクトを見て、
私は人間の身勝手さをあらためて自覚して暮らしていくことの必要性を感じました。

科学技術は私たちの生活のためにもっと便利になり、そして複雑化しています。
私たちはこれからさらに難しい選択を求められるでしょう。
科学に身を置いていなければ、もはや訳もわからずマスコミのニュースに一喜一憂し、
無駄に怯え、無意識に誤った選択をするかもしれません。

そういった今だからこそ、たまにはこういった体験できる科学とアートの取り組みに身を置いて
ゆっくり自分で考え、想像する時間をとってみるのも良いのではないかと思います。
あわよくば、サイエンスコミュニケーターとして、
どう考えたのか聞いてみたり、それで実際どうなんだなんて語る専門家がいたり、
皆と語ってこれからどういう心構えで生きていこうか、
そんなことをシェアできる場を作ってみたいという野望が生まれました。