竹内 希(2022年度 選科/社会人)
(1)そもそもコミュニケーションって何だ?
-サイエンスコミュニケーターたるもの知っておく&考えるべき「コミュニケーション」について-
「科学技術コミュニケーション」とは何かを考えるためには、「コミュニケーション」について知る必要があります。この講義では、コミュニケーションとは何であるかという概念を学びながら、科学技術コミュニケーションにおけるコミュニケーションについて考えました。
種村剛(たねむら たけし)先生。CoSTEP客員准教授。小学生から大学生まで、幅広い層への教育現場に長年携わる中で、科学技術倫理を教えたことを機にサイエンスコミュニケーションに関心を持つように。CoSTEP10期選科A修了生。専門は社会学。
この日はCoSTEPのシンボルマークをあしらったネクタイでご登壇。
(2)「私はキツネ」
-文脈をつかめないうどん店店員と客はわかりあえるのか?-
うどん屋でのこんなワンシーンを想像してください。
店に入ってきた一人の客が、「私はキツネ」と言う。
それに対し、「あなたはキツネではない」と返す店員。
…なんだかコントのような食い違いが生じています。何故、このような事態に陥ってしまったのでしょうか?このディスコミュニケーションシーンを題材に、コミュニケーションの概念について学んでいきました。
① コミュニケーションの2つのモデル
コミュニケーションを概念として理解する主要な学説として、通信モデル*1と理解モデル*2の2つが提唱されています。
前出のうどん屋のシーンでは、「私はキツネ」という客の発言に対し、店員は「あなたはキツネではない」と答えていることから、「私はキツネ」という情報そのものは正確に伝達がなされています(通信モデルの要件は満たしている)。しかし、受け取った情報を文字通りに捉えてしまった(誤った理解をしてしまった)ためにディスコミュニケーションが生じていると分析できます。この例からもわかるように、人と人とのコミュニケーションを考える上では、通信モデルよりも理解モデルがより妥当性があると考えられています。
② コミュニケーションと理解
コミュニケーションにおいて「理解」を成立させるには相互行為*3と文脈(コンテクスト)*4が必要要件とされます。
うどん店店員と客のちょっとおかしな会話事例。「人と人との言葉のやりとりという相互行為の中で互いの理解が作られる。言い換えれば関係性の中に『理解』が生まれるイメージ。」と説明する種村先生。この2人の間にも徐々に理解が生まれていきますが…理解成立までにはもう少し時間がかかりそうですね。
うどん屋での会話では、「この会話がうどん屋という場所で交わされている」という文脈を店員がつかめていないためにディスコミュニケーションが生じていると言えます。このように、コミュニケーションには文脈(コンテクスト)も欠かせません。
(3)「わかりあえなさ」と信頼、そしてコミュニケーション
コミュニケーションにおいて「理解」を成立させるには相互行為と文脈(コンテクスト)が必要ということを学びましたが、一方で、私たちは他者が自分と同じ「理解」をしているという確証を得ることはできません(相手の頭や心の中は見えません)。
情報学研究者のドミニク・チェン(1981-)はこのことを「わかりあえなさ」と表現しました。彼は著書『未来をつくる言葉:わかりあえなさをつなぐために』において、「そもそも、コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け入れるための技法」であると考察しています。
ところで、私たちは社会生活を営む中で他者と信頼関係を築いていきますが、「信頼」とは何なのでしょうか。ドイツの社会学者ジンメルは、信頼を「社会における最も重要な結合力の一つ」であると考え、ルーマンは「社会生活の基本的な事実である」と述べました。また、彼らは、信頼は他者をある程度知りつつも完全には知りえないからこそ成立するものであると指摘しています。これらを踏まえ、種村先生は「信頼とは、相手が理解しているかもしれないという状態の中で、その理解しているかもしれない可能性にかけること」と表現します。
しかし、先に述べたように、私たちは他者と「わかりあえない」のに、どのようにして「信頼」関係を築いているのでしょうか?
ここで鍵となるのがコミュニケーションです。私たちは、「わかりあう」ことはできませんが、信頼している相手とコミュニケーションを取ることができます。また、コミュニケーションを取ることができるから、相手を信頼することができます(コミュニケーションと信頼の相互補完関係)。逆に、信頼できない相手とはうまくコミュニケーションを取ることができないという“負のフィードバック”状態に陥るとされています。このことから、「理解」の成立の有無ではなく、コミュニケーションを取り続けるという連続した行為そのものや、そうしたことができる関係性があるという事実によって信頼は醸成されると考えられます。
チェンの言う「共に在ることを受け入れる」とは、たとえ「わかりあえない」相手だとしても、その人とどのようにして信頼関係を作っていくのか、共生していけるのかを模索し続けるという継続的な行為や姿勢を指すのかもしれません。そして、コミュニケーションはそのような行為や姿勢を実行する術であると考えられるのではないでしょうか。
(4)コミュニケーションと公共
科学技術コミュニケーションは対話を重視した、民主主義を理念とした活動です。
科学技術コミュニケーションの場としてよく知られたものにサイエンスカフェが挙げられますが、この「カフェ」という表現に民主主義が関わっていると種村先生は考察します。
17-18世紀にカフェのはしりであるコーヒーハウスがヨーロッパで流行し、階級や職業を超えて人々が集い、次第に立場を超えて経済や社会問題について話しあう場となっていきました。ドイツの哲学者ハーバーマス(1929-)によれば、コーヒーハウスでの階級や職業を超えたコミュニケーションが後の市民革命、民主主義の原動力となったと考えられています。
科学技術の使用方法は現代においては民主主義のプロセスを経て決定されていきますので、科学技術コミュニケーションと民主主義は密接に結びついているのです。
このチャプターでは、これに関連した民主主義の展開(対話的理性、熟議民主主義、気候民主主義など)について学ぶとともに、科学技術コミュニケーションの今日的なトピックとして科学論の第3の波*5に触れました。
種村先生のコミカルな語り口に思わずニンマリの受講生たち。教室の後ろの方では、オンデマンド学習用の動画を撮影中(道外在住の受講生のライフライン!)。いつもありがとうございます!
(5)受講を終えて
-科学技術コミュニケーションにおけるコミュニケーションを考えるヒント-
講義中、種村先生が強調しておっしゃったこととして印象に残ったのが、「何らかの社会的状況(国籍、ジェンダー、年齢、職業…etc.)によってそもそも相互行為の中に入れない場合、その入れない人は理解を紡ぐことができない。また、それ以外の人(相互行為の中に入ることができている人たち)も入れなかった人と理解を紡ぐことができない。」という課題です。そして、科学技術コミュニケーションという相互行為においては、「サイエンスコミュニケーターは、どのような社会的状況にある人も相互行為の中に入ることができるようにする役割を担っている」と述べた先生の言葉に重みを感じました。科学技術コミュニケーションにおけるコミュニケーションを考える上でも、「相互行為」は重要なキーワードだと思われます。
また、科学論第3の波という時期にサイエンスコミュニケーターとして活動しようとしている私たちは、どのようにこの課題を超えていくのか。非常にチャレンジングな時代に行き合ったと思いました。
厚みのある内容でしたが、コミカルさ溢れる先生の人柄のためか好奇心を持続させて学習することができました。種村先生、充実した楽しい講義をありがとうございました!
*1通信モデル:アメリカの数学者・電気工学者のシャノン(1916~2001)が『通信の数学的理論』の中で提唱。コミュニケーションの目的は正確な情報伝達にあるとした。
*2理解モデル:ドイツの社会学者ルーマン(1927~1998)が『社会システム論』で提唱。コミュニケーションを情報・伝達・理解からなる統一性として捉えた。(ここで「理解」は、相手の言ったことを「おそらくこういうことではないか」と想起して振舞うこととした。)
*3相互行為…相手の行為に継続して行う自分の振る舞いやその連なりのこと。相互行為という双方向性のやりとりの中で「理解」が成立しうる。
*4文脈(コンテクスト)…情報を理解するための前提となるものの総体。それまでの相互行為におけるやりとりの内容の参照や、その場の状況、相手の表情やしぐさの解釈、双方の知識や価値観や規範などを含む。
*5科学論の第3の波(2000年代~):民主主義の枠組みの中で専門家はどうコミットメントしていくのかという課題。どこまでが専門家の専門知を重視し、どこまで市民の決定にゆだねるのか切り分けを重視する。