中村 吏惠(2022年度選科B/社会人)
モジュール5「多様な立場の理解」の第1回目は科学雑誌「日経サイエンス」編集部副編集長の出村政彬先生にご登壇いただきました。出村先生は大学院で植物ミトコンドリアの研究をされると同時に副専攻としてメディア論や科学技術社会論も学ばれ、「科学をテーマに記事を書く仕事をしたい」と、日本経済新聞社の科学記者としてキャリアをスタートされました。これまで新聞と科学雑誌両方で記事を執筆された出村先生は新型コロナウイルス感染症のパンデミック後どのような考えを持ってそれぞれの媒体に関わってこられたのでしょうか。
新型コロナに関する話に入る前に、科学記事一般の話として地震に関する記事についての紹介がありました。地震関連の記事には地震が起きる前に「まだ起きていない災害について関心を高める」記事と地震後に「何が起きたのか知りたい、という要請に応える」記事があり、災害発生前後で役割が変わるというものでした。このように時期に応じて記事の役割が変わってくるということは今回の新型コロナに関しての記事においても同様とのことでした。
流行初期の新聞報道に携わって(2020年1月~3月)
流行初期にはこの感染症についての情報はなく、ヒトからヒトへの感染の可能性は低いと考えられていました。そのため、1月15日付新聞誌面には「人から人 可能性低く」という見出しの記事を執筆されました。当時の報道の「パニックが起こるようなことは極力避けるため、冷静に情報に接しよう」いう姿勢で情報発信していたとのことでした。ところが次第にヒトからヒトへの感染が疑われ始めます。1月下旬にはヒトからヒトへの感染が起きること、致死率や類似のウイルスとの比較の記事を執筆されます。感染症などに関しては「正しく恐れよう」とよく言われますが、情報が限られている時は非常に難しいと感じられたそうです。また、次々と新しい情報が出てくる今回の報道は状況が流動的になり、その度に社会から知りたい要請の中身が変わる点で冒頭で紹介した地震に関する記事とは大きく異なると感じられたそうです。
科学雑誌に何ができるか(2020年4月以降)
2020年4月から出村先生の仕事は「日経サイエンス」が中心となります。その時期新型コロナに関しては新聞では政治面・経済面などからみた記事が増えることになり、科学からのアプローチとして伝えたいという思いから、日経サイエンスへの執筆が中心となったそうです。日経サイエンスでは毎号その月に起きた新型コロナに関する大きな出来事を取り上げ、科学的な解説をしながら関連する研究を掘り下げて紹介するなど、テーマごとの解説や対策の第一線に立つ研究者の紹介を入れた「コロナを巡る科学がどう進展したか」を集中的に取り上げた構成にしたそうです。新聞とは逆に、日経サイエンスでは検査体制や病床不足の問題など社会的なことは取り上げなかったそうです。その理由はたくさんの視点から様々な専門性を持つ人が情報発信する中で科学雑誌の看板を掲げている日経サイエンスができることは何だろうと考えた時に「科学の情報」を純粋に届けることが求められる役割だと考えたからだそうです。
伝え方の工夫(2021年~2022年前半)
2021年から次第に変異株が問題となってきます。そのなかで出村先生は新聞と科学雑誌に掲載する記事を書き分けていたそうです。新聞では変異株監視の現状を伝えるなど社会への影響に関する記事、一方、日経サイエンスでは変異株がなぜ出現するのかを解説するような科学を深掘りする記事を掲載するなど、それぞれの媒体の読者の要求にこたえる工夫をされたそうです。
日経サイエンスの方ではmRNAワクチンについて多方面から俯瞰できる特集を組みます。ワクチンで免疫が得られる仕組みをイラストで解説しました。ここではイラストにより「何か詳しそう」というイメージをまず与え、そこから「きちんとした仕組みがある」というイメージを持ってもらいたいという意図だったそうです。このように記事を執筆する側としては「記事を読んだ人にワクチン接種をして欲しい」という思いがあったそうですがSNS上で批判なども受けたそうです。科学雑誌編集者の立場からすると世の中の人はみな科学的知見から物事を判断したいと思っていると考えがちですが、そのように思う人は全員ではないということ、このような情報は全員に届けるのは難しいと感じたそうです。そこは割り切って、「情報を欲している人にはきちんと届くよう」発信の方法を増やすことを考え、新たにZoomを使ったオンラインセミナーなどや個人でのSNS発信なども始められました。
関心が薄れゆくなかで何をつたえるか(現在)
現在は新型コロナに関する関心が薄れていっていると感じられるそうですが、そんな中、他の感染症や新型コロナ感染症の後遺症についての特集を組んだりされています。本当に情報を必要としている人にどう答えるか,伝えるべき情報をどう伝えるか工夫が必要とのことでした。
この間に出村先生は書籍の刊行も行われました。専門家でない人間がコロナに関する本を書く権利があるのか葛藤があったそうですが、書くのであれば専門家や論文に根っこが降ろされていることを示すことが必要と感じ、全ての記事に各分野の専門家の監修をつけたり、参考文献を充実させどの話が何の研究に基づいているかを示したりして工夫されたそうです。この過程で監修の先生から「専門家は1つの分野を深く理解して仕事をしている。そうすると現在進行形で起きている問題を多方面から見て理解する仕事までなかなか手が回らないので、そこを横断的にまとめるのは科学記者など伝えることを仕事にしている人の役割ですね。」と言われ、非専門家でも「横をつなぐ」ことで科学を伝える立場として役立つことができるのだ、と実感されたとのことでした。
まとめ
今回の講義の冒頭で出村先生は演題である「感染症の情報を何のためにわかりやすく伝えるか」についてはまだ答えはでていない、今日は経験をありのままに話します、とおっしゃっていました。次々と情報がアップデートされる状況の中、新聞と科学雑誌という読者の求める情報が異なる媒体を通じて出村先生の考えの変化を知ることができ、大変勉強になりました。
所々でお話しいただいた雑誌を出版するまでの過程や机上のオオサンショウウオについても興味深く拝聴しました。出村先生ありがとうございました。