毎年、新年度初めの講義は一般公開の特別講演会として実施しています。2013年度の講師は劇作家・演出家の平田オリザさん。当日の5月11日(土)はあいにくの雨模様でしたが、会場には300名以上の方々が集まり、立ち見がでるほどの大盛況となりました。
求められている「コミュニケーション能力」とは
近年、経済界などからしきりに求められている新社会人のコミュニケーション能力。しかしそれは何かを誰も答えられてはいません。科学技術コミュニケーションを考える上でも、そもそもコミュニケーションとは何かについて考える必要がある、と平田氏はまず指摘しました。さらに、欧米のトップ大学の例を挙げ、最先端の研究をする上でもコミュニケーションやクリエイティビティは必要不可欠であり、大学には頭と体を鍛える場所だけではなく、劇場や音楽ホールといった心を鍛えたり慰めたりする場が必要だと持論を展開しました。
文化によって異なるコミュニケーション
知らない人と電車内やエレベーターなどで一緒になった場合、あなたはその人に話しかけるでしょうか。イギリスの上流階級の人々は紹介されていない人に話しかけるのはマナー違反になります。一方、アメリカ人はエレベーターで乗り合わせた人には誰にでも話しかけます。では、そのようなアメリカ人はコミュニケーション能力が高くて、階数表示をじっと無言で見つめる日本人はコミュニケーション能力が低いのでしょうか。平田氏は、それは能力の優劣ではなく文化の違いであり、何がよいコミュニケーションかは文化や民族や時代によって異なると指摘しました。
コンテクストのずれが生むコミュニケーション不全
話し言葉のもつ個性やイメージをコンテクストと呼びます。このコンテクストの一部を共有していますが、それ故に「ずれ」に気がつかない場合にコミュニケーション不全が起きます。コミュニケーションでは他者のコンテクストを理解し、それを理解していると相手に返すことで、コンテクストのずれ、つまり「わかりあっていないこと」を顕在化させるのがスタートであり、よいコミュニケーションだと平田氏は言います。そして、これは難しいことではない、と力を込めて付け加えたのが印象的でした。誰もがコンテクストを理解しながらコミュニケーションしているものの、権力構造や時間制限といった社会的な障害があるためにうまくいかないことがあるのです。
例えば、ホスピスの患者と医者、0点を取ってきた子どもと親、といった立場が大きく異なる場合、いわゆる社会的弱者は直接的な言葉ではなくコンテクストでしかメッセージを送れないことが起こります。そのため、多様な人々がいる社会においては、まずコンテクストをくみ取ることが大切なのです。
コミュニケーションをデザインするという考え方
話しかける人の能力の問題だけではなく、それを阻んでいる話しかけやすさ、環境・場の問題と捉えるのが、現在のコミュニケーション教育の潮流です。そして、組織体制や情報デザインから建築などの空間デザイン、まちづくりまでをふくめてコミュニケーションを改善していくのがコミュニケーションデザインという考え方なのです。科学技術コミュニケーションで目指すのは、単に話のうまい研究者を作ることではない、という平田氏の言葉はCoSTEP受講生にとっても印象的だったのではないでしょうか。
生き残るために、したたかに演じ分ける
コミュニケーションにおいて重要なのはわかりあうことではなく、わかりあえないばらばらな人々が、ばらばらなまま何とかするための社交性だ、というのが平田氏の講演のメッセージでした。現代の日本社会も国際化、多様化しており、そこで必要とされるコミュニケーションも多様になっています。いくつものコンテクストが混在する現在、主体的に、そしてしたたかにペルソナを演じ分ける能力が求められているのです。