実践+発信

論文捏造

2010.6.29

著者:村松 秀 著

出版社:20060900

刊行年月:2006年9月

定価:903円


 本書がとりあげる事件の舞台は,米国が誇る名門研究所のベル研究所,主人公はドイツの大学で博士号を取得したばかりの物理学者ヘンドリック・シェーンである。

 

 

 当時28才のシェーンは,1998年にベル研究所に仕事の場を得て,超伝導研究の第一人者として知られるバートラム・バトログのもとで実験を始めた。当初無名だったシェーンだが,2年後の2000年には華々しいスター研究者として頭角を現し,「サイエンス」や「ネイチャー」など著名な科学雑誌にぞくぞく論文を発表し始める。それらは,極めて低い温度でのみ可能とされていた,有機物における超伝導を,彼独自の方法によってもっと高い温度で発生させることに成功したという内容のものであり,ノーベル賞の受賞も間違いないとまで評価された。

 

 

 しかし,2002年に転機が訪れる。それらの論文は,実験データを捏造してでっち上げられたものだということが明るみに出たのである。本書は,この論文捏造事件の真相を探っていく。と同時に,このシェーン事件を手がかりにして,日本国内でも社会問題化してきている「研究上の不正」一般について,その背景や,それらを防ぐ手だてなどについても考察している。

 

 

 著者の村松秀氏は,大学で工学を学んだあと1990年にNHKに入局し,主として科学系番組の制作に携わってきた放送ディレクターである。氏が制作にたずさわったBSドキュメンタリー「史上空前の論文ねつ造」は2004年10月に放送され,翌2005年のバンフ・テレビ祭の科学・自然番組部門最優秀賞,アメリカ国際フィルム・ビデオ祭 科学・調査番組部門クリエイティブ・エクセレンス賞など,数々の国際的な賞も受賞した。本書は,その番組の制作にあたって得られた詳細な取材結果を活かし,番組の中に盛り込むことのできなかった事実や論点なども加えて,まとめられたものである。

 

 

 村松氏が本書で問題とするのは,シェーンがデータを捏造したという不正だけに留まらない。

 

 

 たとえば,捏造論文を掲載した「サイエンス」や「ネイチャー」の編集部に責任はないのか,という点だ。論文が掲載されるに先だち,彼の論文への疑義や警告を編集部に対して発する科学者が皆無ではなかったからである。

 

 

 また,無駄な労力,研究資金,時間が費やされたということもある。多くの研究者が,実は嘘であるとも知らず,シェーンの結果を自ら再確認しようと躍起になって追試実験に取り組んだのである。

 

 

 さらに,シェーンを雇用していたベル研究所の対応にも問題があったと村松氏は指摘する。シェーンが捏造しているのではないかと内部告発があったにもかかわらず,研究所は真剣な対応を取らなかったのだ。

 

 

 ベル研究所のこうした対応の背景には,かつては純粋に科学的真理を追究していたベル研究所も,いまや経済原理や国家戦略との絡みなどのために,その性格を変質させていることがある,と村松氏は指摘する。

 

 

 もちろん,こうした「研究上の不正」は,対岸の火事ではない。本書にも取りあげられているように,日本でも,理化学研究所や,東京大学,大阪大学,早稲田大学などで,類似の事件が起きており,大きな社会問題となってきている。科学技術に関する総合戦略を立案することを任務とする総合科学技術会議でも,2005年12月,「科学技術に関する基本政策について」の答申をとりまとめ,日本学術会議および各省に基本ルールづくりを指示するなど,研究費不正の問題と合わせて研究不正に対する対応を検討しはじめている。

 

 

 これまで,論文のねつ造を見抜けなかったことに「責任はない」と半ば開き直っていた「サイエンス」誌も,2006年の11月末になって,社会的に注目度の高い分野の論文に絞ってではあるが,審査を厳しくする再発防止策を発表し,事態の改善に乗り出した。

 

 

 本書で村松氏は,シェーン事件を手がかりにしながら,日本国内でも社会問題化してきている「研究上の不正」一般について,その背景や,それらを防ぐ手だてなどについても考察している。いま,「研究上の不正」に対し,いま科学研究の現場でどのような対策が必要なのか,それを議論するためのきっかけとして本書が利用されることを期待したい。

 

 

立花浩司(2006年度CoSTEP選科生,千葉県)