著者:中村 祥二 著
出版社:20081200
刊行年月:2008年12月
定価:840円
調香師(パフューマー)という仕事をしっていますか?
本書は、化粧品会社の研究所で調香師として研究生活を送った著者が、1986年に朝日新聞科学欄に連載した随筆コラムを元にまとめた「香り」に関する随筆です。調香師の仕事についてはもちろん、歴史、文化、文学、美術、ファッション、植物、食品、嗅覚、健康など、多種多様な切り口で「香り」について語られています。
まず、普通の鼻の私たちには考えられない、調香師ならではのエピソードに興味が惹かれます。優れた調香師の第一歩は、最高級品の香料を「かぎ込んで」、よい香りとは何かを自分にすり込むこと。それが身について初めて、そこから外れるにおいはすべて異臭と判断できるのです。また、調香師の華麗なる技として、空間に広がる香りの濃度の勾配を嗅ぎ分け、ある香りをつけている女性を探すこともできるそうです。「香りとは、空気が相手の商売だ」と言い切る調香師の言葉の数々。あたかも、空気に香りという色がついているかのようで、新しい世界をみせられた気分になります。
そもそも嗅覚は、進化の過程で取り残された感覚だといわれ、本能と直接結びついているそうです。夕暮れ時、どこからともなく漂ってくるカレーのにおいをかいだ時、子どもの頃、家路を急ぎながら、“こんなにおいをかいだなぁ”と懐かしく思い出すことはありませんか?著者は、「人は、これまでに経験したことがないにおいには強い印象を受け、本能的にその時の場面と一緒に記憶し蓄積する」のだろうと考えています。だから、「知らないにおいに出会うと、そのものが何ものであるか、自分に害を及ぼそうとするものかどうかを、かぎわけようと」し、「その同じにおいに再び遭遇した時、においに伴って現れる出来事が、楽しいものか、ごく日常的で安心なものか、危険をもたらすものかを、一瞬のうちに過去の記憶に照らし合わせて知ろうとする」のです。これほどまでに生活に深く関係していながらも、嗅覚に関する研究はあまり進んでいないのが現状です。
また、調香師という仕事は、嗅覚(匂う、香る)という個人的な感覚を第三者に説明しなくてはなりません。そのためか、本書の中で取り上げられる香りや味、風景、そして心情を表すときに使われている言葉や描写がとても豊かで、表現が細やかです。トリュフの香りを調香師が語ると、「鼻を近づけると、奈良漬のアルコールが混じったツンとする感じと、濃くなったしょうゆの香気が混じっていた。強くかぎ込むと、奥の方にゆで卵の黄身のにおいに似た、ほこっとした香りがあった。鼻から遠ざけてかぐと、ボラの卵のくんせいのからすみのような香りも感じられた。全体に弱い煙臭さもあった。」となるのです。あるものの香りについて、ここまで詳細に調べ、具体的に表現されるのは、調香師という職業が「香りの科学者」であり、「香りの文筆家」でもあるからなのでしょう。
この本を読み終えた後はもちろん、ページをめくっている間も、今まで気がつかなかった周囲の香りが語りかけてきて、自分の香りに対する感性が鋭くなっていくような感覚になります。そんな未知なる世界へどうぞ!
野地(片桐)実穂 (2010年度CoSTEP選科生、横浜市)