実践+発信

〈レポート 1 〉「生命に介入する科学III〜受精卵の選別操作、その社会的意味を考える 〜」82サイエンスカフェ札幌が開催されました。

2015.6.12

「生命に介入する科学」と題して実施してきた対話型イベントの第3回目、「第82回 サイエンス・カフェ札幌」が6月6日に開催されました。その内容をダイジェストにまとめて2回〈レポート 1 〉〈レポート 2 〉に分けて紹介します。

はじめに

米国科学アカデミー(NAS)と米国医学アカデミーは「ヒト生殖細胞系ゲノム編集」に関してガイドライン作成するために、今年の秋を目処に科学者や医療関係者、患者団体、市民が参加する意見交換の場を用意するそうです。ホワイトハウスもつい先日(5月26日)「現時点で超えてはいけない一線だ」とする声明を発表しました。国際的に「ゲノム編集」技術のヒト生殖細胞系への応用について真剣に議論をしようという気運が高まっているようです。一方、日本国内では、生命倫理専門調査会で議論を始めると発表がありましたが、専門家や研究者の枠組みに止まっています。

しかし、北海道大学CoSTEPは2014年10月に、市民を対象にこのテーマをオープンな場で議論する試みを実践しました。市民対話のための先導的な役割を果たしてきたと考えています。また、私たちが知る限りでは「ヒト生殖細胞系ゲノム編集」を扱ったオープンなミーティングは国内に例がなく、初めての試みといえるでしょう。学会が主催するような大きなシンポジウムではなく、100人以下の小さな集まりかもしれませんが、市民のみなさんから寄せられた意見を結晶化させ、その結果を詳らかに公表することにも力を入れて参りました。このような動きが、日本だけでなく世界各地に広がることに期待しています。

今回(6月6日)は、受精卵の検査とゲノム編集に焦点をあて市民対話の場「サイエンス・カフェ札幌」を設けました。その速報を紹介いたします。

 

(ゲストの石井哲也さん/安全衛生本部教授)

会場となった札幌駅前の紀伊國屋書店インナーガーデンには、約80人の市民のみなさんが集まりました。生命倫理学や医療社会学を専門とする石井哲也さん(安全衛生本部教授)をゲストに迎え、進行役はCoSTEPの大津珠子が務めました。

プログラムの前半では、1978年に世界で初めて体外受精によって誕生したルイーズ・ブラウンさんの半生と彼女が社会に与えた影響、生殖科学の歩みをふり返りながら、着床前検査技術の歴史、卵子や受精卵の選別と操作、さらに昨今話題となっているゲノム編集について、石井さんに解説してもらいました。後半では、前半の話題提供を受けて、参加者が「受精卵の選別や操作が及ぼす影響」について意見を交わしました。

(参加者の様子)

受精卵の検査と選別

着床前検査とは体外受精で得られた受精卵(胚)に対して行われる出生前の遺伝学的検査です。重篤な遺伝子疾患をもつ子の出生を回避するための受精卵診断(PGD)は、すでに日本をはじめ世界各国において条件付きで実施されてきました。さらに今年度より、不妊治療を受けていても妊娠できなかったり、流産をくりかえしたりする女性を対象に受精卵を検査し、すべての染色体が異常なしと判定されたものだけを子宮に戻して、着床率・出産率を上げようとする受精卵スクリーニング(PGS)が臨床研究としてスタートしています。

(ゲストの石井哲也さん/安全衛生本部教授)

新型出生前検査のような胎児検査は、妊娠を継続するかしないかの選択ができますが、着床前検査にはそのような選択肢がありません。遺伝学的に異常な受精卵はすべて廃棄されるからです。生命への物理的で直接的な介入とも言えます。胎児検査で異常が確認された場合、9割以上の女性が中絶を選択していますが、着床前検査では受精卵を子宮に戻す前に検査を行うので、中絶という決断を回避することができ、倫理的な問題が少ないという意見もあります。しかし、染色体の数や構造が正常でないと判断された受精卵を廃棄することは、同じ染色体の構造をもって生きている障がい者への差別につながるのではないかという意見もあり、日本でコンセンサスはまだ得られてないと、石井さんは指摘しました。

(会場から寄せられた質問や意見をとりあげながら進行しました)

英国で合法化された受精卵の遺伝的改変

イギリスでは重篤なミトコンドリア病の子への遺伝予防のために、卵子や受精卵での核移植が合法化されました。今年の10月から施行されます。患者女性の卵子と、ドナー卵子の間で核DNAを取り替え、異常なミトコンドリアを除去すること、また、患者夫婦の受精卵とドナー受精卵の間でミトコンドリアの置換を認めようという法律です。世界で初めて、卵子や受精卵の遺伝的改変が公に認められたのです。英国の他、現在、米国でも検討されており、日本でも導入が検討される可能性があります。

ゲノム編集時代へ

生殖の技術は生殖細胞の改変に止まりません。人間の受精卵を使って遺伝子改変の実験を試みたとする中国の研究グループの論文が話題になっています。今年の4月、ある科学誌に掲載されました。現在、注目されているクリスパー・キャス(CRISPR/Cas)というゲノム編集ツールが、初めて人間の受精卵に使われたからです。これは、生命科学が現時点では越えてはいけない一線であり、倫理的に大きな問題があると世界中で騒がれています。

現在はゲノム編集を使って、人間にとって有益な農作物や家畜を誕生させる研究が進められています。従来の「遺伝子組換え」と比べて、標的とする遺伝子の改変が高効率に達成できるそうです。しかし生命の設計図ともいわれる遺伝子を、科学技術によってどこまで書き換えて良いのか、日本の研究者の間でも議論は進んでいません。

「受精卵の選別や操作が及ぼす影響」についてグループディスカッション

カフェの後半では、参加者が8つのグループに分かれて「ヒト受精卵の選別や操作は、誰に最も大きな影響を与えるのか?」メリットとデメリットという側面から意見を交わしました。グループファシリテーターを務めたのは、池田陽さん、高橋香帆さん、柴田有花さん、松尾知晃さん(いずれもCoSTEP今期受講生)と、小倉加世子さん、内山明さん、平田恵理さん、重井真琴さん(いずれもCoSTEP修了生)です。受精卵の選別や操作に対して各グループで意見を交わし、その内容をファシリテーターが発表することで様々な疑問や考え方を共有しました。各グループには円卓ボードが用意され、その場で出された意見を可視化する仕掛けも用意されました。

* 参加者から寄せられた感想や意見、アンケート結果は〈レポート 2 〉をご覧下さい。

(グループディスカッションの様子)

(グループディスカッションの内容をファシリテーターが発表)

石井哲也さんの結びのメッセージ

日本国内には生殖医療に関する法律はなく、卵子や受精卵の改変は国の指針で禁止されているだけで、法的な強制力はありません。今後、新しい「ゲノム編集」技術が人間の誕生にも適用され、ある種の医療のみならず、技術乱用により「デザイナーベビー」が実現する可能性もあります。石井さんは「人の萌芽である受精卵の改変をどこまで認めてよいのでしょう。様々な立場の人の声に耳を傾け、リスクとベネフィット、倫理的な観点からも議論を積み重ねることが重要です。子育てや家族の有り様に対する考え方は、カップルによって異なります。さらに、命を授かった子どもたちも当事者であることを忘れないでください。」とカフェの最後を結びました。


〈レポート 2 〉につづく