私はきっと一止(いちと)に恋をしている。
一に止まる、と書いて一止。縦に並べると正の字になるこの名前は、忙しい毎日の中でも人に対して真っ直ぐに、時に立ち止まって考えようとする彼の性格そのものだと思う。
本作は、駆け出しの内科医、栗原一止(くりはらいちと)を主人公とする物語である。医学部を卒業後、同輩の多くは大学病院に残る中、一止は“24時間365日対応”を掲げる地域の基幹病院へ飛び込んだ。休みは数か月に1日あれば良い方で、寝不足や頭痛と戦いながらも、患者や取り巻く人々とのつながりの中で、一止なりの「良い医者」を目指す。
作者の夏川草介さんは、実際に地域医療に従事する医師でもある。夏目漱石、川端康成、芥川龍之介、そして漱石の草枕から一字ずつ取ったペンネームから想像するのは、真面目な文学医師だろうか。そんな夏川さんは、一止を“ボロボロの草枕を白衣のポケットに入れた、少し変わり者の文学医師”として描く。夏川さんからみた一止は、どんな人物なのだろう。
舞台は長野。この本に描かれる世界はとても美しい。殺伐とした病院が主な舞台であるからこそ、四季折々の色彩豊かな自然の描写に作者の思いを感じる。春には薄紅色の桜吹雪が舞い、夏には真っ赤な夾竹桃(きょうちくとう)が華やかさをふりまく。天は透き通るような蒼(あお)であり、雪は世界を真白に染める。街路に咲く梅や花桃も、彼らの生きる日常を鮮やかに飾る。
一止の目線から描かれる登場人物も魅力的だ。心の機微を情景豊かな自然とともに丁寧に描写することで、彼らをどこか身近に感じさせる。
これまで4作が発売されているが、1作目では安曇(あずみ)さんという末期癌患者とのやりとりが印象的だ。治療法がなく、大学病院では入院さえも許されなかった安曇さんへの“なすべき医療”を、一止は見出そうとする。死期が迫った彼女はそんな一止に手紙を残す。「大学病院に行った時、えらい先生に言われたことを思い出します。『大学は安曇さんのような人を診る場所ではないのです』と。ではどこで診てもらえばよいですか、と問うても大学の先生は困ったような顔をしているだけでした。でも、私はその時、すぐ先生の顔を思い出したのです。きっとどこかで、先生はこんな治りもしない病気のおばあさんにだって手を差し出してくださると、私にはわかっていたのですね。」
2作目ではともに病院を支えてきた先輩医師との死別が描かれる。亡くなる数日前、先輩医師は一止に思いを託す。
病室から、早朝の静まり返った並木道を見おろすと、満開の花水木
(はなみずき)が惜しげもなくその真っ白な色彩を風に揺らしている。
「時とともに花は移ろい変わります。人もまた同じことだと思うのです」
力強い声ではけしてない。語調はあくまでも静謐(せいひつ)であった。
「私が逝ってもあなた方がいる。今はそんな風に思えるのですよ」
温かな声であった。「あとをお願いします」とは、先生は言わなかった。
友人との別れ、同僚との別れ、家族との別れ、この物語にはたくさんの悲しみが存在する。けれども、それ以上に、人とのつながりの中での希望や愛が心に残る。
巻を追うごとに、一止は医師としての信念に迷う。3作目では、ある患者への診断がきっかけで、一止は大学病院へ進むことに決める。そんな一止に、恩師の医師は「何も心配はいらねえよ」と、言葉を掛ける。憎まれ口を叩きながらも、互いに信頼を置いた看護師は「先生がもし、私の不在に気がつくくらいの甲斐性があったら渡してもいいって」と、人づてに新品の草枕を送る。
後に発売された4作目の「神様のカルテ0」では、登場人物の過去が描かれる。それぞれの背景を知ることにより、これまでの物語でのやりとりが、より一層愛おしく思えてしまう。そんな彼らに会いたくて、私は何度もこの本を手に取ってしまうのだ。
一止の信念は、実際の医師からみればきれいごとなのかもしれない。けれども、実際の医師である夏川さんが書く物語だからこそ、そこには“思い”を持った一止が実在するような気がしてしまう。そして、そんな一止に私は恋をしているのである。
【大谷祐紀・CoSTEP13期本科ライティング】