5月18日、平川秀幸先生(大阪大学コミュニケーションデザインセンター准教授)をお招きし「科学技術は誰のものか」と題して講義が行われました。科学技術コミュニケーションの歴史やトランスサイエンス問題について解説いただきながら、3月11日に発生した東日本大震災や原子力発電所の事故から私たちは何を学べばよいのか、科学技術コミュニケーションのあり方について展望していただきました。
レポート:三ツ村崇志(本科・北大理学院物性物理学専攻修士課程1年)
信頼の危機(Crisis of Confidence)
世界で初めてBSEが発見されたイギリスでは、当初科学者たちによる検討委員会で「人間に対する安全宣言」がなされました。この宣言は科学的に絶対の信頼を置けるものとして発表されたのですが、数年後、BSEに感染した牛を食べることで発現する人型の変異型クロイツフェルトヤコブ病が発見されました。イギリス政府はBSEの人間に対する感染を認め、科学を根拠にした安全宣言が間違っていたことを公式に認めます。その結果、政府や科学者に対する信頼が大きく崩れました。これが「信頼の危機」です。
イギリスではBSEショックの後、科学技術コミュニケーションの路線を、足りない知識を補うPUS(Public Understanding of Science)から、不安要素を市民とともに考え、対話や意思決定への参加を重視するPEST(public engagement in science and technology)に切り替え、失われた科学技術への信頼を取り戻すための「専門性の民主化」を目指したのです。平川先生は、3.11に日本版の「信頼の危機」が起きているのではないかと指摘されました。
日本の科学技術コミュニケーションの問題点
1995年、日本では阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などの社会基盤を揺るがすような大きな事件が多発しました。これらの事件もきっかけとなり日本は、対話的なコミュニケーションや科学技術ガバナンスの重要性に対する認識を強め、科学技術に対する国民の理解を促進させようとしてきました。日本の科学技術コミュニケーションは確実に前進しているようです。
しかし、日本の科学技術コミュニケーションは、科学の「楽しさ」を伝えることや「理解増進」の文脈で語られるなど、いわゆる「PUS」的コミュニケーションに偏っていると指摘されています。不確実性や利害関係が絡む「苦しい」議論は回避されがちで、さらにトランスサイエンス的問題への取り組みも不足し、結果、3.11でその問題が露呈してしまいました。
3.11後の科学技術コミュニケーションと科学技術コミュニケーター
平川先生は3.11後の科学技術コミュニケーションのあり方として、今まで不足していたトランスサイエンスコミュニケーションの重要性を訴えています。「これこそ正解」をなかなか示せない状況で、人々の正しさの相場観=「知識のポートフォリオ」が必要だと訴えます。私たちが携えて行くポートフォリオをいかに作り、いかに支援していくか。そのような知識に関する「投資アドバイザー」の役割をになうことは、これからの科学技術コミュニケーターのテーマといえるでしょう。またトランスサイエンス的問題に対処するために、広範囲の知識や対抗的専門性についても理解を深めていきたいと認識を新たにしました。平川先生、ありがとうございました。