行松泰弘さんは文部科学省で長く科学技術や教育行政のお仕事をされ、2012年8月に北海道大学に赴任されました。
行松さんは、科学技術・学術戦略官として、2012年版科学技術白書「強くたくましい社会の構築に向けて〜東日本大震災の教訓を踏まえて〜」の編集を担当されました。行松さんのアイデアで、デザインを公募して選んだというとても素敵な表紙です。
授業は、この白書執筆のプロセスを振り返りながら進みました。この白書はある新聞に「科学技術“反省”白書」であると報じられ、メディアでも大変話題になりました。東日本大震災と原発事故の際に、科学者は分かりやすい説明ができず、リスクの見通しも十分に示せなかったことなどを率直に書いたからです。
震災前は8割前後が科学者の話を信頼できると答えていたのが、震災の1か月後には、40%と激減。その後しばらく60数%を推移します。また「人間は科学技術をコントロールできるか」という問いに対しても、震災前の2009年にはYESが約60%だったのが、震災後の2011年には約30%と半分に減りました。科学と科学者は明らかに信頼を失ったのです。
一方で、2011年7月の調査では、科学者の側は、国民は科学者のことを「信頼している、あるいは、どちらかといえば信頼している」と答えた人が、44%もいました。講義後の質疑応答でも受講生から「科学者や技術者は常に楽観的であり、これまで社会と十分にコミュニケーションをとってこなかったことに重大な問題があったのでは」という意見が出ました。
こうした信頼の危機を前にして、私たち科学技術コミュニケーターの役割も、これまでのような科学の楽しさ、魅力を伝えるだけでは不十分であり、科学技術に関する利益とリスクについて社会とどのようにコミュニケーションを行っていくかに関しても、今後は強く意識していく必要があると行松さんは話しました。
鹿児島に、およそ100年前の災害を元にした「科学不信の碑」とでもいうべきモニュメントが残っています。桜島噴火・爆発にあたり、「爆発しない」という測候所の情報を信じた村長と住民の一部が亡くなりました。しかし理論を信頼せず、過去の経験にもとづいて避難した住民は助かったといいます。
今回の東日本大震災でも、情報を鵜呑みにせずいち早く避難させるよう指導していた釜石市の津波防災教育は、多くの人々を救いました。科学の予測には限界があり、不確実性があることに関して、これまでの日本は社会的に十分な対話(リスク・コミュニケーション)を講じてこなかったと行松さんは言います。
こうした科学的な政策判断について、いろいろな科学的知識を踏まえて、どう決断すればよいのでしょうか。時には住民の生命がかかっている、行政の最前線における政策決定は、大変シビアです。行松さんは、専門家による科学的な情報提供と、行政による政策決定とを峻別するアメリカ、イギリスのシステムに注目しています。
政策決定において考慮されるのは、科学的知見だけではなく、経済的な要因や社会的・文化的要因も当然ながら大きいといえます。例えば、日本では海藻のヒジキをよく食べますが、ヒジキはヒ素を摂取しすぎるリスクがあるとして消費を控える国もあります。このように、単に科学だけでは答えが出せないのが政策の世界なのです。
しかし、こうした科学リテラシーが十分であったとしても、そうした専門知識を語る科学者と、社会の間に信頼関係がなければ、何もうまくいきません。私達、科学技術コミュニケーターに寄せられる期待は大きく、今後やるべき活動がたくさんあることを改めて自覚させてくれた、とても素晴らしい講義でした。行松先生、ありがとうございました。