下條 朝也(2018年度 選科B/学生)
今回の講義では、伊藤浩志先生(脳神経科学者、 サイエンスライター)が、トランスサイエンス問題が生じる理由とその解決策について、脳の情報処理の仕組みの観点から講義されました。
トランスサイエンス問題の現状
トランスサイエンスとは、科学に問うことはできるが、不確実性や価値判断を含んだりするために、科学だけでは解決できない問題を指します。この問題は、感情に基づく「価値」と、理性に基づく「科学」の対立によって生じ、半世紀前に提起されたにも関わらず解決の緒が見つかっていません。なぜこのような対立が起こってしまうのでしょうか。
科学と価値の違い
科学の多くは、統計論的な判断を行います。具体的には、「現象Xは、特定の状況Yにおいて、とても低い確率でしか起こらない。したがって、YのもとでXが起こったのは偶然ではない」と考えます。これは確率的な判断であり、「必ずこうなる」と断言することはできません。
一方で、人間の直感に基づく価値的な判断はどうでしょうか。たとえば、心理学の研究において、「原因Cが結果Eを引き起こす確率」と「Eが起こったときCが原因である確率」を混同したり(反転錯誤)、自らの考えに合致する情報のみに注目して意思決定を行ったりする(確証バイアス)ことが示唆されています。
しかし、価値という基準は無意識的に用いられるため、情報の送り手が両者を混同することがあり、結果として受け手の不安を煽ってしまっているのではないかと考えられます。
理性と感情の関係性
なぜ、科学と価値を混同した主張を目の当たりにすると不安を覚えるのでしょうか。それは、科学の導き出す確率が不確実なものであり、不確実な情報を与えられた人間は不快な感情を生起するためだと伊藤先生は述べました。
脳科学では、不安などの強い感情(情動)を司る脳部位は「扁桃体」であると考えられています。また、人間の理性と感情は不可分であり、理性的に物事を考えているつもりでも、快の情動反応を得られるように意思決定の方向付けを行う傾向があります。そのため、不確実な情報を与えられると扁桃体が活性化され、不快な感情が生起し、快の情動反応を得ようと、理性でなく価値に基づいた意思決定を行うのだと考えられます。
求められる「安全」とは?——トランスサイエンス問題の解決のために
伊藤先生は、原発問題における「安全」の話を軸に上記のことを説明しました。原発問題はもちろん、自動運転などの様々なトランスサイエンス問題において、安全の定義は重要なものだと言えます。ISO/IECガイドによると「安全とは、社会の価値判断に基づいて多くの人が「受け入れ可能」と納得できるリスクレベルのこと」であるとされています。つまり、安全は価値によって変化するものなのです。
たとえば、原発問題において安全の基準を低く見積もった場合、何かしらの「身体の病」を患う可能性があるでしょう。一方で、高く見積もった場合、身体の病に罹る確率は下がりますが、差別などの否定的な社会評価を受けるかもしれません。伊藤先生は、これを「社会の病」と定義しました。社会の病が慢性的なストレスの原因となり、死亡する例もあるそうです。
この場合、どちらの「病」を意識して対策を取るべきでしょうか?原発事故における対策は、住民の価値を反映せず、安全の定義がなされないまま、科学に基づいた対策が取られていると伊藤先生は言います。これを解決するには、情動の特性を知り、活かすことが大切です。そのためには、サイエンスコミュニケーターが間に立ち、専門家と被災者が互いの基準を共有し、互いの欠けている部分を認識することが必要なのではないでしょうか。この役割を背負えるよう、これからもサイエンスコミュニケーションの勉強を続けていきたいと思います。
伊藤先生、ありがとうございました。
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同日15:30~21:00、リスクコミュニケーション選択演習が行なわれました。CoSTEPでは2014年度以降、定期的にリスクコミュニケーションの実習や演習を行なっています(過去の活動はこちら)。
今回は、伊藤浩志先生の近著、
「復興ストレス:失われゆく被災の言葉」(彩流社 2017/2/24)
「「不安」は悪いことじゃない 脳科学と人文学が教える「こころの処方箋」」(イースト・プレス 2018/6/17)
の2冊を輪読し、受講生は自らの経験をもとに、「不安」の正体について活発なディスカッションを行ないました。
感情によって初めて理性が生まれることが最新の脳科学によって明らかになってきていることについて、改めて伊藤先生から丁寧な説明をいただきました。また、「安全」と「安心」は分けて考えてよいものなのか、放射能を安全視する側も危険視する側も、主張の権威付けのために科学を使っているのではないかなど、科学技術コミュニケーションを深く考える上でとても重要な議論ができました。
講義から数えると8時間弱、という気が遠くなるような長い時間でしたが、最後の乾杯の後は…何と、福島県川内村の方が送ってくださった天然のマツタケを炭火でみんなで美味しくいただき、忘れられない夜になりました。伊藤先生、本当に遅くまでありがとうございました。