実践+発信

[芸術祭選択実習01] 福田佳緒里 《アートメディエーションプログラム》

2021.3.15

SIAF2020において、芸術祭と多様な鑑賞者をより良い形でつなぐために取り入れられた「アートメディエーション」。「メディエーション(mediation)」という言葉に馴染みがなかったので、まず辞書で引いてみると、そこには「調停」「仲裁」と書いてありました。では、メディエーションとは紛争解決の手段なのかと解釈すると、それには少し違和感があります。私が芸術祭の作品を鑑賞するとき、そこに紛争が発生しているとは認識されなかったからです。

 

 この度、アートメディエーション担当のマグダレナ・クレイスさんのお話を聴いて、その違和感は解消されました。マグダレナ・クレイスさんがおっしゃるには、「複数のものの間で争いや不一致があるとき、そこに解決を生むプロセスがメディエーションであり、ある種の「対立」と強く結びついている。ただ、これをアートの文脈で考えるとき、「対立」は必ずしもネガティブなものではなく、また解決すべきものとも限らず、むしろそれは新しい何かを体験するということや、まだ見ぬ何かに近づくことであり、この意味での「対立」においては、鑑賞者はサポートを必要とする」とのことでした。

 メディエーションという言葉は、ラテン語の「meidiare」に由来し、「複数のものの間にあり、メッセージを伝え、感覚を調整し合うこと」を意味しているそうです。メディエーションは、アーティストやキュレーター、作品、鑑賞者、組織、主催者など、それぞれが交わる「あいだ」に現れ、そして、「アートメディエーション」は、その「あいだ」に対話を生み出すプロセスであり、すべての人に開かれた平等で対等なプラットフォームとして、来場者との長期的で豊かなつながりと関係に焦点を当て、新しい体験の場を創造する取り組みであるとの説明に強く共感しました。

 以前の私は、作品を鑑賞するとき、作者の意図は何だろう、自分はきちんとそれを理解できているだろうか・・・とまるで正解というものが存在し、それを見つけに行くような見方をしていました。今思うと、ずいぶん狭い見方だったように感じます。大人になって、現代アートに触れる機会を持ち、そんな正解も探し切れない状況に陥り、もっと自由でもよいのかもしれないと思うようになりました。とはいえ、理解したいと思って近づいてみても理解できない、もやもやした気持ちを抱えながら会場を後にするのも後ろ髪をひかれるようで、自分にもっと鑑賞するための力があったのなら・・・と思ってしまっていたのも事実です。

 SIAF2020を貫くアートメディエーションの視点は、年齢や知識・経験の量、関心の度合いなどが異なる鑑賞者をサポートし、それぞれに合った手法でアートを体験し、楽しみ、対話し、共有していくための場を提供してくれます。私のようにまだアートの筋肉がついていない鑑賞者も、既にアートの筋肉が隆々の鑑賞者も、まだアートにあまり興味がない未来の鑑賞者も、あらゆる鑑賞者を中心に据えたコミュニティがあたたかく迎えてくれます。

 その取り組みは、コロナによって芸術祭の中止が決定した後も続けられました。

 具体的なアートメディエーションプログラムのひとつは、「聴いて、感じて、楽しいオーディオガイド」というおうちで楽しむ音声ガイドです。展覧会に足を運べないなら自分のおうちを展覧会に見立ててしまおう!という試み。「周りから聞こえてくる音をじっくり聞いてみましょう」「丸い形をしたものを探してみてください」などと流れてくる音声のままに体験してみると、普段からそこにあるのに気付かなかったものや気持ちにスポットが当たり、日常と非日常の間を歩くような不思議な感覚を楽しむことができました。体験した後では、普通に暮らしていても目や耳や感覚が届く範囲が広がり、身の回りのものと自分とのつながりを今までよりも深く感じるようになった気がしています。今回はひとりでしたが、友だちと一緒に、親子で一緒に、など誰かと一緒に楽しむとさらに豊かな体験になりそうです。

 実際に作品が展示されている会場に足を運ぶことができない状況の中、いえ、だからこそ楽しめるオンラインコンテンツの開発は、コロナの時代のアートの楽しみ方の幅を広げ、また、コロナ理由でなく会場に行くことが困難な鑑賞希望者にもアプローチできる、大きな可能性を秘めた素敵な取り組みだと感じました。